PLANT

PLANTとは?

PLANTは、近年深刻化している地球温暖化をはじめとした気候変動による雪不足に危機感を感じ、「何か自分たちではじめられないか」というところからスタートしました。わたしたちの大好きなスノーボードは、「自然と遊んでいる」と言うものの実態は、環境に負荷をかけて人間のエゴで楽しんでいる遊びです。除雪車を毎晩走らせ、化石燃料を燃やしてリフトを動かし、スキー場に行くために何百キロの距離を運転します。PLANTは直訳すると「木を植えたり種をまく」という動詞です。空気中の二酸化炭素を吸収して酸素に変える植物の力を借りることで、わたしたちがスノーボードをするために使ったエネルギーを少しでも相殺できないかと考えました。気候変動や環境問題は、二酸化炭素の量を減らしても意味がなく、「地球の周期的な活動が影響していてもっと複雑な問題だ」と意見されることもあるでしょう。地球の活動年齢からしたら無意味なことなのかもしれません。しかし、だからといって何もせず過ごすことが正しいのでしょうか?答えはNOです。

「環境問題や気候変動に対して、できる範囲の小さなアクションを起こすことはクールである。」そんなスタイルを横乗りを通して読み手の方に伝えられたらと思っています。それがPLANTという活動です。

コアの事業として、使われなくなったユーズドのアパレルの販売をメインに、オリジナルアパレルを併せて展開しながら、収益の5%を植林を主とした環境団体に寄付をしています。横乗りをかっこよく楽しみながら環境問題に対してのアクションができるプラットフォームを目指します。

100年先も変わらず滑れる世界を。

ABOUT US

左:たかひろ、右:じょー

学生時代から10年近く滑り続けているアラサースノーボーダー(241とJO)の二人で、スタート。

241(TK、たかひろ、Deco)

スノーボード歴:11年
スケートボード歴:9年
サーフィン歴:1年未満

17歳の頃にたまたまテレビで見た「X-TRAIL JAM TOKYO DOME」というスノーボードのジャンプの大会に影響を受け、「自分もこうなりたい」と思い、以来そこからスノーボードのことばかりを考える人生を歩み始める。スノーボードを北海道でするために北海道大学を目指して浪人をしたが見事に落ちて京都の私立大学へ入学。そこで「本物のかっこいいスノーボード団体を作りたい」と強く思い、スノーボードサークル『shuffle』を2012年4月に設立。自分が卒業するころには100名近いメンバーが集まり、8年たった現在は日本でトップクラスの学生スノーボード団体として活動を続けている。


大学を卒業後、順当に大企業に就職するが1年で退職した。人生は1回しか無いから、もう一度スノーボードにどっぷり浸かりたいと思った。そして北欧で唯一ワーホリを受け入れていたノルウェーへ移住。大した実力が無い自分は他の人とは違う経歴・キャリアを作らなければ業界で見向きもされないと本気で考えて単身で北欧に乗り込み、現地のトッププロに認めてもらって逆輸入的な発想で日本で活躍することを夢見た。ノルウェーでは自分ができる全力を出しきって、ほとんどの時間をスノーボードに費やした。しかし自分が思っていた以上の結果は残すことができなかった。それでも挑戦した日々には何一つ無駄なことはなかった。プロスノーボーダーになるということは叶わなかったが、挑戦したことで日本人で初めてスノーボードでノルウェー篭もりを実行して成功させた希少な人物にはなった。当時の様子はこちらのHP<http://takahiro-nishii.com/>からどうぞ。

その後帰国し、東京のスタートアップで働くことを決める。この出会いはスノーボードを続けてノルウェーに行かなかったらありえなかった。このスタートアップでの2年は自分のスノーボードキャリアを大きく前進させた。自分の「滑り」では実現させることはできなかったが「仕事」でスノーボードと関わることで、テリエ・ハーコンセンや自分が当時憧れたプロライダー達と同じ目線で動くことができた。この経験は東京に来なければ絶対にできなかったことだ。

その仕事の傍ら自分のスノーボード技術を押し上げることを諦めなかった。溝の口の近くに賃貸契約をして、時間があればスノーヴァ溝の口でのライディングに時間を費やした。スノーヴァで過ごした2年間のおかげで自分の滑走能力を維持できたしむしろ向上した。おかげでスノーバンクという大会で決勝まで残って2日目のプロバトルにワイルドカード枠を勝ち取ったり、オリンピック選手と白馬の山奥で撮影したりした。これは自分がスノーボードを楽しみながら、しぶとくやり続けたから見えた景色だと思っている。

2019年のシーズン最終日に前十字靭帯を断裂した。骨折などは何度も経験していたが全治8ヶ月相当の怪我は生まれてはじめてだった。これが自分の横乗り人生のピークで最後かもしれないと思ったが、やっぱりスノーボードが好きだから、しがみついた。本来なら滑っていた時間を全部カメラの撮影に時間をに費やした。おかげでカメラマンとしても仕事の依頼をもらえるくらいに成長をした。

2020年、スノーヴァ溝の口が閉館になり、茅ヶ崎に引っ越した。今はサーフィンを中心としてスノーボードをメインに湘南で横乗りにコミットする生活を送っている。

自然と共に遊ぶ、横乗りのおかげで自分の人生が豊かになった。遊ばせてもらっている自然に感謝して、今の環境問題を少しでも自分ごととして捉え、できるアクションを少しずつ自分たちが続けて「100年先も変わらず滑れる世界」を残したい。
そんな思いからPLANTをはじめました。

JO (Yuya Jo, じょー)

  • スノーボード歴:9年
  • サーフィン歴:3年
  • スケート歴:1年

高校卒業後、専門学校に通っていたが19歳の頃にスノーボードを始め、その春に家が近いだけで全く関係のない同志社にスノーボード友達を作りたくてサークル探しに行き、トゥイークのイラストが印象的だったShuffleのチラシに出会う。そこからShuffleに加入。英語の興味が強くなったの半分、Shuffleと滑りたい半分で、関西外国語大学に入学。本格的に滑り始める。

学生時代に雪山篭り生活を始め、その雪山のすぐそばに住む生活スタイルやローカルで繋がり、毎日滑る楽しさにどっぷりハマる。大学2年の冬に岐阜、3年の冬に白馬、4年の冬に、現在も住んでいる妙高に篭り始める。夏は学校に通いつつオフトレの毎日。大阪KINGSで土日だけ勤務の非常勤スタッフもしていた。ちなみに学業の英語のほうは、1年生の頃にはある程度話せるようになっており、3年生の冬には英語でお客さんと接客で話せるレベル、4年生の冬には英語通訳スタッフとして働いていた。

大学卒業後、ダイビングショップに就職するも雪山での篭り生活が捨てられず、冬前に退職。冬には雪山に戻る。

晴れの日はパーク。パウダーが降ればパウダー。コンディションが良ければバックカントリー。
家から山が見える生活から離れられなくなっていた。

妙高に2年目の冬を過ごし、篭りスノーボーダーが集まる静岡でお茶摘みの仕事へ。そこでサーフィンを始める。その夏にはじめての海外、オーストラリアに篭りの下見トリップへ。何もかも新鮮な季節が逆の世界だった。

妙高3年目の冬の後、千葉をはさみ、オーストラリアのFalls Creekで篭る。決め手は、山奥にスキー場とヴィレッジがあるスキーリゾートの雰囲気。雪は少なく、シーズン序盤は常にアイスバーンだったが、パークのクオリティが高く、クリエイティブ。仕事は、ローカルジョブを友達に紹介してもらい、Falls Creek Hotelという長く続く伝統的なホテルのBarでバーテンダーとして働いていた。独自のカクテル文化と、New worldに区分されるワインの豊富さが素晴らしい国だった。オーストラリアでもパークにストリートにハイクセッションと、ローカルたちと滑る毎日。冬が終わってからはメルボルンでバーテンダーをしながら、バリスタの勉強をしていた。

そして、今年の妙高4年目冬を過ごし、コロナをきっかけに住んでみたかった妙高で、メルボルンで学んだバリスタをしながら夏の生活をしている。

”地球の肺”とも言われているアマゾンの大伐採、そして2019年のオーストラリアの大規模なブッシュファイア、そして近年の降雪量の減少。〜年に一度の大災害が日常になってきていて、少しずつ災害の規模が大きく、頻繁に起こっているように感じる。

地球温暖化の原因は、二酸化炭素が増えることによって地球が温まるから。アマゾンでは木を切ってしまったし、オーストラリアでは燃えてしまった。

洪水や雪不足は、水の循環のみだれから。天然のダムと言われている水を貯めておく力がある木がなければ、水は地面を流れていき、溜まらないし、洪水も起こる。

じゃあ、木を植えよう。

「自分たちスノーボーダーの手で活動した資金で、プラント(植林)していこう。」

という想いでPLANTを立ち上げました。

短絡的な発想と知識で始めたブランドですが、運営していく中で学んだことや新しい知識を発信していくためにこのブログを作りました。これからどんな情報や知識、事実と出会えるのか楽しみに運営していきたいと思っております。

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